撮影日 : 2011年3月13日
場所 : 岩手県 宮古市
津波の被害を受けた岩手県宮古市田老地区(震災3日目 : 午前)
宮古市田老浄化センターのある西向山付近の国道45号線沿いを進むスタッフら。
付近の住宅地は、海岸から600メートル以上離れているが、津波によって運ばれてきた土砂やがれきに埋もれ、自衛隊による捜索救助活動も続いている。
遠く北東方向に破壊された田老野球場の姿が見え、県道171号線沿いには「三陸大津波 昭和8年(1933年) ここまで」の看板が痛々しく立っている。
小高い所に敷設された地域の生活鉄道「北リアス線」の線路に上がり、さらに、線路沿いに北上するスタッフたち。
田老駅まで差しかかると、変わり果てた街の様子を一望する。
街の海岸部東西に広がり、「万里の長城」とまで呼称された巨大な防潮堤から、内陸部まで壊滅状態。
かつてチリ地震(津波)をもしのぎ、「津波防災の町」のシンボルとして、海外からも注目されてきた海面高10メートルを誇る巨大な防潮堤。
それを、いとも簡単に乗り越えてきた津波のすさまじさをあらためて実感する。
防潮堤よりも高い所に位置する北リアス線の線路上にまで、破壊された家屋が乗り上げられ、人々の行く手をさえぎる。
しかし、街を縦断する低地の道路も、泥やがれきで寸断されており、地元住民たちはなお、この線路を伝って街を行き来するのだった。
[映像中に登場するレポーターは、フジテレビ・河村忠徳記者]